山形市山家の金勝寺東方に深沢不動尊という古刹がある。そこに延びる参道には現在
山形自動車道が横たわり、静寂を著しく害している。
自動車道の僅かに手前には深い切り通しと、遙か上方の樹間に垣間見える石鳥居がある。
長い間、なぜあの様な小高いところに鳥居があるのかと思っていた。
参道途中にある深い切り通し
切り通しと左上方の石鳥居(樹木で隠れている)
左上方の崖の上を拡大すると石鳥居が確認できる。
ここは通称「鬼越」という当時深沢不動に至る唯一の道で、あまりの険しさにその名が付いたという。
参拝する人々はその信心から、この険しい崖をよじ登り、石鳥居をくぐって深沢不動に向かった。
しかし、体力のあるごく限られた者しかここを越せないことから、昭和13年、鳥居横をおよそ15mもの
深さにえぐって自動車さえも通れる切り通しが造られることとなった。
参道跡を登る
石鳥居までの険しい登りと見下ろした眼下の様子
生い茂る樹木の間に鳥居が姿を現す
見かけ通り登りは厳しく、かつての道形と思われる跡も、樹木に占領され役目を果たし得ない。
このような参道では老人の参拝は困難であったことは容易に推察できる。しかし信心は強いもので、
命の危険を冒してまでも不動尊にたどり着くため、昭和13年以前まで、人々はここに登り続けたのだろう。
今は誰もくぐる者はない
石造の鳥居はひびが入り傷んではいるものの作りは立派で、両脇には献納された常夜灯や
不動尊碑を従えていた。建造は嘉永六年(1853年)、ちょうど浦賀にペリーが来航した年である。
建造年と寄贈者名
鳥居の両脇にあった石造物
鬼越を不動尊側に越えると、昭和13年に切り通しが開かれた際の記念碑がある。
切り通し以前、ここがいかなる難所だったかについて、記録されているようであった。
鬼 越