完成当時の古写真
明治時代の二ツ小屋隧道は昭和8年からの工事で大きく切り拡げられ、自動車の通行さえ容易にした。
然しそれから七十年余、再び自動車の通れなくなる日は近づいている。
福島側現況
「万世大路」の名付け親とされる明治天皇がこの地を訪れた明治14年、小休憩をしたとされる
場所に「鳳駕駐蹕之蹟」の碑が建っている。昭和の改修により隧道が大きく切り下げられたため、
現在は隧道横に階段を設けて上らなければならない位置になっているが、以前は路面の高さに
在ったものと思われる。
「鳳駕駐蹕之蹟」碑
碑の横面に明治十四年の文字が刻まれている
碑は草陰の存在になっている
坑門上部
扁額
壁柱と落下した石材
未だ揺るがざる坑門のように見えるが、着実に崩落は進んでおり、落下する石材も増えた。
これは坑門ではなく排水孔
碍子の跡がある
内部の崩壊
内部崩壊は痛々しいほどであり、余命の短ささえ伺わせるものである。山深い箇所での工事でもあり、
材料は充分に供給されなかったとされ、施工時のコンクリートに混ぜた砂の品質が不良であったことの
記録もある上、施工法そのものも万全ではなかった可能性も高い。先代の素堀隧道の空間が現内壁の
外側に残っている部分が存在することも明らかになっている。その他地質が安定せず、著しく工事の困難
だった地点もあったということ、冬期には滲出する地下水が完全凍結し、コンクリート内壁を痛めつけることなど
劣化の原因となる要因には事欠かない状態でありながら今までよく持ったものだというのが正直なところである。
山形側の崩落
あとから巻き立てた部分が落下
坑門脇にあいた穴
外目にはまだ大丈夫なように見えるコンクリートの部分も、このような水の作用により
見えないところで浸食を受けている可能性が高い。
山形側現況
三十年以上前に栗子隧道が崩落してしまったことを考えると、二ツ小屋隧道が
未だに車を通す状態で残っていることは儲けものなのだと思う。然し、近い将来
この隧道はさらに大きな内部崩落を起こし、二ツ小屋隧道山形側坑口と栗子隧道
福島側坑口は世間から断絶されて、幻の隧道口となるであろう。