上山市中山の掛入石付近は迫る山に挟まれ、他にルートの採りようもないことから
旧米沢街道がそのまま国道13号線として現在も利用されている。
高橋由一 画
掛入石は古来より名勝となっている巨石である。往時の長さは17m余りもあり、その傍らに奥行き8m程の
洞窟状になった部分があったといわれている。巨石の上には一本の桜があり、西の枝は米沢領、東の枝は最上領
とされていた。つまり、藩の領地の境(領界)になっていたようである。
現在 路上に被さる部分はなくなっている
明治17〜18年に描かれた高橋由一の画帖にある写生の図に見える、路上に被さるオーバーハングの部分は
後述する理由で現在は失われている。しかし、永久不変の象徴である巌の姿が大きく変わってしまった一方で、
傍らに立つ電柱の位置、形状が120年前の当時とほぼ同じに写っていることが面白い。
断ち切られた掛入石断面
1600年の関ヶ原出羽合戦では、この石の下(洞窟状の部分)に上杉勢が潜み、追撃してきた
最上勢に待ち伏せを仕掛けたことから、「隠れ石」の別名もある。また、行き来の許可が必要な領界
となっていたことから密かに領間を抜けるものが隠れた、掛け入ったということが由来になっているという説もある。
「掛入り」の洞窟状箇所
現在は伝記にあるように武装した侍が10名ほども隠れるような空間は残されていない。せいぜい
領界を密出入する者が隠れられる程度である。
掛入石のもとに立ち並ぶ石造物
巨石の傍らに並ぶ石祠、地蔵、墓石状のものの由来は不詳である。領界の密出入が発覚し
捕らえられ、処断された者の慰霊碑にあたるものであろうか。または、関ヶ原出羽合戦、戊辰戦争
など、この石周辺で繰り広げられた戦による犠牲者の鎮魂のためのものか。
この巨石の大きさが半減したのは明治32年の奥羽本線敷設工事によるものである。
現国道13号線の傍らに位置する掛入石の裏側には奥羽本線が通されている。線路が
この位置に決められた際、古来より名勝とされる掛入石の保存は、余り検討課題にも
ならなかったらしい。線路と交錯する部分が破壊されただけでなく、国道側の突出部も
線路の敷石用としてダイナマイトにより大きく削り取られた。名勝旧跡を工事の原材料にしたのである。
石祠の向こうに奥羽本線の架線が垣間見える
掛入石を挟んで国道と奥羽本線が並行する
当時待ち望まれて北進を続けていた鉄道敷設工事の前にあっては、人々の眼には旧跡といえども
貴重なものとは映らなくなっていたのであろう。
この石の頂部に置かれていた松尾芭蕉の句碑 「木のもとに 汁も鱠も 桜かな」 は、鉄道敷設工事
の際に中山の白鬚神社境内に移転されているという。