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狐越古道(山形市〜山辺町〜白鷹町)

 

 

1600年の関ヶ原の戦いに伴い、上杉領の米沢城主直江兼続が最上義光の山形城を攻める道筋として

この狐越街道を使ったという。西置賜から攻め上った上杉勢は畑谷城を陥落させ、次いで長谷堂城を落とす

勢いで猛烈な攻勢をかけた。ところが、意外にも長谷堂城は健闘し、半月経っても陥落することはなかった。

 

 

 

近年設置された古道の表示

 

 

   

 

路面には敷石がある

 

 

   

水流は暗渠で通している

 

結局、長谷堂城は持ちこたえ、関ヶ原で徳川が勝ったことから最上勢は反撃の気勢を

強める。上杉勢の直江は狐越街道を、最上の追撃を受けながら退却するのであった。

 

     

 

    

草藪に埋もれた道を整備したようである

 

 

この道は最上川を経て庄内より運ばれた物資を西置賜地方に輸送する主要道でもあった。

現在は県民の森を通る道に交通量が流れ、狐越街道は忘れ去られているかのようだが

                この道がなければ西置賜に海産物は届かなかったかもしれないのである。

 

    

古道を新道が横切る

 

 

 

街道は集落内へ

 

 

  

振り返ると新道・古道の分岐点

 

街道の一部が西山形地区有志の手で整備されている。積雪の時期以外は徒歩で辿ることができる。

付近には礫石などの史跡も案内板付きで紹介されている。

 


 

 

礫石(つぶていし)

 

 朝日岳から鎌倉時代の武将 朝日奈三郎義秀が両手で岩を投げ、右手で投げた方が

白鷹山を越え、この地に届いたという。左手で投げた方は最上川に架かる黒滝橋付近の

河床に落ちたとされ、途中洪水による水没(17年間)がありながらも地元有志に掘り

                  起こされている。

 

   

 

付近には巨石が多い

 

 

 

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