廃道のほとんどは、長い役目を終えて自然に還ろうとしているものであるが、中には生まれながらにして廃道を運命づけられたものがある。
二十年来の構想であった、大規模林道 小国−真室川線は、その効果と実用性を疑問視されたまま着工された。
最大の疑問点は、それだけの長距離を林道としてつなぐことに何の意味があるのかということであった。
林業にのみ使うのであれば全県縦断の長距離の必要性はないと思われるし、生活道としては危険である。また、
林道予定地は膨大な積雪が予想され、仮に開通しても実用になるのは7月から10月頃までの3,4ヶ月に過ぎない。
年間を通しての利用を目指せば月山新道並の管理費がかかる。それに、燃料の補給施設がない。それでも工事は進み、
公金が惜しみなく投入され始めた。一度動き出したプロジェクトを押し留めるには単なる「疑問」を越える大きな理由が必要となる。
看板には実現しなかった路線名が残る 林道入り口のゲート
林道という名称ではあるが対向2車線 他の林道に比べ 樹木が原生林的である
景気が傾き、県の財政に余裕もなくなってきた頃、予定地にクマタカの棲息が確認された。営巣地になっているということで
環境面での論議が始まる。そして1998年、県知事により 朝日−小国工区の工事中止が表明された。しかし、その時には
すでに200億円もの巨費が投入済みであり、行き場のない道が残された。
道端にあるペンキ塗りの「山神」碑
小枕山トンネル小国側口 石彫りの扁額
トンネル銘標 施工主は森林開発公団 白い郷土の森駐車場表示
県民の血税を無駄に使ったとの追求を逃れるため、県側の苦しい弁解が始まった。小枕山トンネルの向こう側に
「白い郷土の森」と命名し、そこまでのアクセス道路がこの道だとしたのである。
看板を立て、それらしく繕ってみたものの明らかに不自然な様子が漂う。
「駐車場」の表示は何とトンネル入り口の前。そしてこの先には進んで欲しくないといわんばかりの表記。実際
トンネルを抜けるとそこには遮断機があった。申し訳程度の案内板にはここから眺める風景が「白い郷土の森」
であると書いてあるが、今までさんざん山道を走ってきて、ここでまたあえて何の変哲もない山の景色を眺める
必然性があろうか。第一、この森が「白い」時期にはこの道は通行不能になっているのである。
471mのトンネルでありながら1灯の照明もない トンネル通過後間もなくの遮断機
遮断機の先にも しばらく道はあるようだ
これが200億円の景色 小枕山トンネル行き止まり側口
¥20,000,000,000
内壁に生える苔 現役として生きていたら 雑草も生えなかっただろう
山形県の判断についての評価はいろいろである。「環境のために工事中止を決断したのは英断である。」「クマタカごときのために
大事な県の事業を頓挫させるのは許されるべきではない。」など、それぞれの立場によって180度違って当然である。
個人的見解では、クマタカ問題以前にもこのプロジェクトが壮大な無駄になりそうなことは県関係者は承知していたと思う。
完成の暁には、国道113号と同等の働きをする、などと本気で考える人はいなかっただろう。それでも関係者の側から工事中止は言い出せない。
そんなときに浮上したクマタカ問題は財政難の折り、工事中止を関係者側から切り出すには、「渡りに船」ではなかったのだろうか。
それでなければ、「環境への配慮で工事中止を決断した。」との言い分は理解できようはずがない。「白い郷土の森」と命名し、
讃えるほどこの地の環境を県が評価していたのなら、初めから樹木を何万本も切り倒す工事には着工しなかったはずである。
一度動き出したプロジェクトの軌道修正がいかに難しいかは各地の例が示すとおりであるが、
そのきっかけを与えてくれたクマタカに県は感謝するべきであると思う。
小枕山トンネルは当サイトでは異例に新しい廃隧道である。廃されてはいないとする方もあろうが、道が目的を失い、利用されなくなった時点で
いくら新しくとも廃道になるのだと思う。事実、門は一部開いているものの、林道入り口には「全面通行止め」の表示が掲げられており、トンネルの
向こうの道も遮断されている。開通しないことも決定した。有効活用されることなく朽ちてゆく、照明もない暗いトンネルの中に座って、廃隧道として
扱うことの方がむしろ、なまじ中途半端な現道とするよりいいのではないのか、というようなことを考えていた。