奥羽本線が明治36年に新庄まで開通してから100年。今もなお、当時の遺構はその姿を藪の中に隠しながらも残存している。
前回の訪問より7年、放棄されたままの貴重な近代遺構を再訪問した。
隧道名、全長等については、鉄道資料の他に、リンクさせていただいている
TILLさんのサイト「ニヒト.アイレン」を参考にさせていただいています。
芦沢の跨線橋脇から北に入る
延々と続く田舎道を飽きずに行くと、やがて舗装道は途切れ、奥羽本線に接する道となる。
舗装は途中まで 右は現トンネル 左が旧隧道
はじめに姿を現すのが、旧金堀隧道(トンネル)59.5m。
廃棄された5本の隧道群の中で、これのみは今だに地元のひとに活用されている様子が見える。
状態もさほど悪くなく、全長も短いため無灯でも心配なく通過できる。
芦沢側坑口 : 例に漏れず、隧道からは地下水が浸出しており、轍に溜まっている
威厳のある坑門は100年経ってもその偉容を示している
内部には蒸気機関車による煤煙の跡が今なおみとめられる
少々崩れてはいるものの 待避坑も原形を保っている
塗り込められた煉瓦も再び姿を現す 舟形側坑口の現況
いつ頃のものかは不明であるが、「金堀」と読みとれる木製の銘標が掲げられていた。
味気ない現金堀トンネル 舟形側に続く旧線跡
旧金堀隧道(トンネル)
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