関山隧道山形側の道の大落石が排除され、入り口のチェーンも解放されたためだいぶ進入するのが容易になった。
現道のような状態ではないが、宮城側に見るような大荒廃は見られない。
前回、宮城側から見た隧道内部の湛水の様子を今回は山形側から確認してみたい。
山形から仙台側を望む
向かって右に延びる旧道跡は、一時期に比べ進入しやすくなった。
宮城側に比べると段違いに状態がよい ガードレールも残る
舗装は全く残っていないものの 旧国道であることを偲ばせる
一見コンクリ壁でも よく見ると石垣の部分がある
赤さびた落石止め
これは隧道ではなく流水通路 険阻な山地の谷間
坑口付近には落石が多い
山形側坑口
扁額が見える 天井からは 鍾乳石
今まで数回訪れた中で、今回初めて山形側の扁額を確認できた。ふだんは垂れ下がった植物に隠れ、
全く見えない状態。 「道 隧 山 關」 と右から書いてある。
崩壊は確実に進んでいる
天井から地下水が激しく落ちる
坑内に落水の音が大反響している。画像ではフラッシュで明るく写っているものの、この時は照明を持っていなかったため
真っ暗な中を歩き、落水位置がわからず、かなりかぶってしまった。
宮城側坑口はプールになっている
透明な湛水
流水ではなく浸み出た地下水ということもあり、きわめて透明で飲めそうな程である。
道路中央に段がありそこだけ15cm程も高くなっている。そのため両側より水深も浅いのだが
それでも50cm程度はある。中央部分は画像で見るように敷石のようになっており、
アスファルトではないようだ。この水は、冬はそのまま透明な状態で氷結している。
仙台側の封鎖は水も逃さない
この隧道は片側だけが厳重に鉄格子で封鎖されている。理由は不明だが昭和40年前後の
幽霊話に関係があるのだろうか。
面白いことに、これだけの鉄格子を通過した例もあるのだが、常人が真似をするのは困難
と思われる。
山形側を振り返る
(2003.9 訪問)
山形側坑口(昭和初期)
宮城側坑口(昭和30年代)
より初期の画像には、坑内に支保杭が並んでいる様子が見られる。
後期の画像は、幽霊事件が起きるちょっと前頃か。