この橋の半分は、なんと大正製である。半分というのは、東側の親柱、欄干がすでに昭和47年の拡幅工事の時に
失われているためで、西側のみが当時のものということになる。
立谷川を跨ぎ、天童市と山形市をつなぐ要所の橋である。
左右の親柱の時代が異なる 銘標には拡幅時の記録もある
天童側親柱 欠けたところはセメントで補修してある
山形側親柱 こちらの方が状態がいいようだ
昭和47年の工事の際に両側親柱を撤去しようと思えばできたはずで、むしろその方が工事完了後の見栄えとしてはバランスが
とれたはずだが、そうはしなかった。新銘標にも工事前の親柱の竣工年と工事年を併記するなど、大正から続く歴史に敬意が伺える。
歩行者が通る歩道側に旧親柱を残したのもよかった。
2002年、荒谷橋の未改修側の高欄が取り替えられた。
改修の済んだ側との調和を目指したものか、使用に耐えなくなったわけでもないにも拘わらず
古の趣を残していたコンクリート欄干はペンキ塗りのカラー金属パイプのものにすげ替えられた。
親柱に改修が加えられることはなかったようだが、いつこれも取り替えられるかわからない。
現状を記録しておく。
山形側親柱
「立谷川」の銘標は大きいものを取り外して付け替えたような痕が見受けられる。
傷みは進んでいるものの、造りは細部まで手が込んだものであり、様々な意匠が取り込まれている。
陽を受けた親柱の意匠を通して大正時代の余裕のようなものがにじみ出ているようにも思われる。
山形側にはこれより天童市の表示
天童側親柱
天童市側は、山形側にもまして損傷が進んでおり、応急修復部分も多い。
芯のコンクリートにあいている多数の穴は、表層材の取り付けのためのものであろうか。
頭頂部に見られる鉄管の一部は、建設当初のガス灯、または電灯の引き込み跡かと思われる。
灯火類は設置されていたとしても通常早期に失われてしまうことが多く、後世まで本来の姿を残す
例は稀である。ガラスを多用すること、エネルギー代等の維持費がかさむため放棄されるのであろう。
天童側改修済み親柱
こちらの銘標には大正の文字が刻まれているが銘標自体は昭和47年の改修時に用意されたものであろう。
字体、材質が似ていることもあり、未改修親柱に付けられている銘標も昭和の改修時のものかも知れない。
荒谷橋 大正13年竣功 昭和47年・平成14年改修
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