国道13号線栗子第一(東栗子)トンネル東口山側に旧道がある。急な悪路ではあるが、4駆車なら何とか通れる。
15分(2.4km)ほど登ると重厚な坑門が現れる。坑口の右手の階段を上がると明治天皇休憩の碑と山神が置かれている。
二ツ小屋隧道である。洞内に入ると雨のように水が滴り、ザーザーと音がする。所々壁が崩れており、土砂が洞床に山を成して
いるが、車の通行は可である。舗装も残っており、泥にぬかることはない。山形側の坑口付近で天井が抜け、滝が落ちている箇所がある。
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二ツ小屋隧道 福島側 昭和九年竣工の扁額
昭和8年、福島側坑口下のヘアピンカーブ脇の大石移動の作業中に、作業員1名が下敷きになり圧死したとの記録がある。
記録の表現は、「せんべい状に圧搾された」。また、ガス管を担った作業員が高圧線に触れ、落命した。これも「黒こげになった」と記されている。
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滝が落ちる洞内の様子 二ツ小屋隧道 山形側
長さ 384m 幅 6m 高さ 5.1m
二ツ小屋隧道から更に車で行くと500mほどで路面がコンクリートになる。烏川橋上である。欄干は
既にぼろぼろで、親柱に付いているはずの銘標も全て欠けている。この橋で烏川を越えてさらに行くと
2.6kmほどで車5,6台が駐車できる程度のやや広いところに出るが、その先は車では通行不能となる。
大平という集落跡で、かつては米澤藩士が住んでいたという。ここより先は藪をかき分けての徒歩となり、
道幅1m程度で両側谷落ちなどの危険個所を通らねばならない。昭和初期のコンクリート橋2本を経て
30分ほど奥に入ると旧栗子隧道福島側口が見えてくる。坑口前は背の高い草が生い茂り、左には渓流
からくる滝が落ちている。坑内には泥が堆積しており20pくらいはぬかる。天井にはコンクリートが溶け
た鍾乳石がぶら下がっている。直線800m余で山を貫通していたはずだが向こう側は見えない。数百m
先で落盤により閉塞しているようである。この昭和坑口のほかに明治坑口があるはずと思い付近を探したが見あたらない。
坑門に上り坑門裏を見ると岩穴のような跡があったため、明治の坑口を昭和に改装したものと推測された。
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栗子隧道 福島側 昭和10年竣工の扁額
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栗子隧道内部の状態 福島側坑口
坑口近影
後日資料を調べた結果、昭和のトンネルを掘る際、山形側は明治時代とは別の坑口を設けたのに対し、
福島側は明治の坑口そのものを拡幅したとのこと。そもそも初代隧道が当時の技術不足から、
東西合流の箇所が内部でクランクになっていたといい、その修正も兼ねたのではなかろうか。
尚、現在不通となっている原因になった落盤は、廃道になった昭和41年から6年ののち、つまり
昭和47年に起きたという。廃道後わずか6年で大落盤と聞けば廃されたのもやむを得なかったと思わざるを得ない。
(注)この内部クランクにつきましては 「冬季の雪の吹き込みを防ぐために、米沢口より、60メートル手前から、
23度の角度で西に向けたものです。」 との情報がありました。(土ザ衛門様より2002年9月21日。)