古来より、幾度となく整備し直された関山街道。昭和12年の隧道拡幅を伴う大改修の際には
現在見られる永昌橋も建造された。永昌橋の先代に当たる木橋はその後も残存しており、近年まで
橋の形を保っていたようだが現在は落橋している。河床に降り、その姿を見つめた。
旧道入り口 2003.9 時点では通行可 右は永昌橋に続く 左の草藪奥に旧橋跡
上から覗くとこんな具合 下に降りて見上げる
川に落ち込んだ旧橋の構成材 コンクリートの礎石
元橋脚と思われる部分 立ち並ぶ丸太
川をふさぐ形で旧橋の材料が折り重なっている
隧道側(仙台方面) 山形側
未だに倒れぬ柱二本 ボルトが残っていた
永昌橋はこの上流100m足らずのところにあり、実質この橋跡が永昌橋の先代といえるのだが、
橋名が旧永昌橋であったかどうかはわからない。
大正末期から昭和初期にかけてコンクリート橋が建設され始めると、それまでの木橋に比べ
格段に耐久性が期待できることから「永久橋」という言葉が生まれ、普及していった。
今となってみればコンクリート橋とはいえ、30〜50年程度でほとんど架け替えられてしまい、
決して「永久」とはいえないのだが、当時は本気で信じられた言葉だろう。
永昌橋の名称がそのイメージを元に付けられたのだとすれば、元の木橋は他の名であったと思われる。
残骸を見た範囲では親柱は見つからず、無名であったかもしれない。
また、木橋というよりも路面に土砂を盛った土橋として活用されていた可能性が高い。
65年以上も前にその役目を終えた橋跡は、かろうじて橋であったことが伺える姿で河床にうずくまっている。
名称不明 竣工不明
(2003.9訪問)
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