国道13号の側から見ると殺風景にコンクリートを塗っただけの入り口であるが、
中にはいると煉瓦積みの優雅な隧道である。さらに反対側に出ると国道側とは
全く違った威厳のある坑門が存在する。
旧国道側坑門 かなりの貫禄がある
煉瓦色の坑内 見事な作りである
本来両側に煉瓦造りの見事な坑門があったはずだが、国道13号側の坑門は国道拡幅または鉄道側の
拡幅工事の際にコンクリートによって埋め込まれてしまったようだ。(国道側の天井に痕跡がみられる。)
(1968・・・昭和四十三年頃か)
煉瓦造りのまま現在でも自動車の通行が可能は例は県内では極端に少なく、農道レベルのものを除いてはおそらく
これが唯一のものであろう。この隧道の施工については資料が確定的でなく、一般的な説では昭和9年の新道造営の際に建造
されたような記述が見られるが、地元の方の話や研究者の調査では奥羽本線の敷かれた明治時代に遡る可能性が高い。
この隧道については二つの見方があり、道路側から見た場合の「隧道」と、この上を跨ぐ奥羽本線から見た
場合の「跨道橋」という扱いである。隧道上に山があるわけではなく、今でいう鉄道と道路の立体交差であるから
純粋な意味での隧道とは異なるであろう。しかし、この見事な坑門、内部については一級品の隧道として扱いたい。
鳥上坂隧道 冬景(2005)
鳥上坂 昭和9年改修の道
左の岩塊に施工碑がはめ込まれている
國道五号 昭和十年の記述
旧国道側坑口
煉瓦の紅い色が鮮やかに残っている
現国道側坑口を望む
亀裂より滲出する水が凍る
現国道側坑口
坑口上は奥羽本線の軌道になっており、鉄道から見ればここは橋であろう。
隧道内部の様子
鳥上坂は明治以前、有数の難所となっており「鳥も上がれない」といわれるほどであったという。
明治の県令三島通庸の発案で馬車の通れる道に整備されたがそれでも難所には違いなかった。
坂は一様の角度では造られず、所々馬車の休めるよう平坦部が設けられていたようだ。また、
途中休憩場所として茶屋などもあり、一服できるようになっていたらしい。
昭和九年、折りからの冷害による貧困の対策のため、救済事業としてこの道の再整備がなされた。
自動車の通行を念頭に置いた改修であり、現在見られる道筋となった。この工事では坂から隧道に
接続する部分の傾斜を弱めるため、隧道の底部を1m以上も埋めたという。現在見られる坑口の形
は蒲鉾型であるが、以前は馬蹄形であったということで鉄道施設の工法で造られた隧道と思われる。
その後も現国道への乗り入れや排水のためたびたび工事がなされ、天井も低くなっている。底部と東側坑口の
破壊は残念ではあるが、その他については極力現状を尊重する様子も見られるのが幸いであると言える。
現在は「鳥上坂」と表記されているが、過去には「鳥上ヶ坂」「取上坂」「鳥揚坂」などの表記が見られた。