旧小国街道はまだまだ奥に続くが、昭和30年代まではバス通りだったというのが
想像しがたい状況が目に入ってくる。
路肩補強のコンクリートは残っているが 路面の土砂は失われていた
現道への取り付け階段 当然廃道後の設置である
現道の綱取橋の下をくぐると また片洞門が続く
今度は鉄道(米坂線)が現れる
このコンクリートシェードは昭和38年の設置であり、この道が廃されてからのものである。
人一人がようやく通れる幅しか通路が残されていないが、ここが現道だった時代には
踏切となっていたはずである。ところがここは隧道の出口に当たり、危険きわまりない。
遊歩道のはずであるが立ち入らないよう警告されている
列車が暗闇から飛び出してくる
これが綱取橋か、と思わせるアーチ橋が眼に入るが、これはコンクリート製の鉄道橋である。
アーチ状の鉄道橋 さらに先に続く
鉄道橋の古写真:土木学会図書館より使用許可
この写真を見ると、現役当時の踏切の様子がわかる。実際ここをトラックが通っていたのである。
隧道出口を振り返る
その先にあった明治時代の石橋 綱取橋
橋の先にも片洞門が確認された
この先、現道と合流して姿を消すまで、頭上に迫り来る岩塊と切り立つ深い渓谷に挟まれながら、しばらく街道跡は続く。
明治19年(1886)開通〜昭和33年(1958)廃道