宇津峠から小国を通り、新潟に抜ける小国街道(明治の新道)は横川に沿って開削されたが、
岩を穿っての片洞門の連続に見るとおり、かなりの難工事であった。岸壁に沿って道は続いたが
束根の松というところで対岸に渡ることになる。当時、深い渓谷に橋を架けることは更なる難工事で河床に橋脚をおろす形をとれないことから、
アーチ形の石橋が架けられることとなった。同時期にこの形の橋を他にも手がけていた吉田善之助らが石工として建設にかかわり、2年ほどの
期間をかけ、完成させた。足場の極端に悪い建設場所であったため、1名の転落死亡者と、3名の重傷者の発生が記録されている。
鬱蒼とした林の中に姿を現す橋
橋上の様子
左右両岸の岩盤にまたがるアーチ
建設時の転落者が助からなかったのも無理はない
120年以上を経てなお揺るぎない石組み
高さ60cmの高欄があったことが記録されているが 現存しない
草木に覆われ 全容をすっきり見渡すことは難しい
これだけの難所に今も揺るぎなく残る石橋を架けた当時の技術には感動を覚える。
小雨そぼ降る渓谷沿いの林中に、穏やかにその姿を横たえるこの橋が、県はおろか
小国町の文化財にさえ指定されていない事実が意外である。だが、誰にも知られずこの場にあり続けるのもまた、悪くないかもしれない。
綱取橋 明治16年竣功 橋長27m 幅4.5m
訪問に際しては、足元に細心の注意が必要である。欄干が全く無いため踏み外しは即、落命となる。
(topに戻る) (橋梁topに戻る) (現役橋topへ) (前ページに戻る) (次ページへ)