旧 青柳橋
山形市青柳地内の村山高瀬川に架かるコンクリート橋。親柱はよく残っているが、惜しくも銘標が4枚とも紛失している。
その上資料にも竣工年が記されておらず不明となっている。おそらく昭和5年前後のものであろう。
橋の各部に意匠が凝らされており、細部の仕上げまで素晴らしい。
緩やかなカーブを描く接続(南側)
意匠の素晴らしさは建造年代が戦中などではない余裕のあった時期をうかがわせる。
戦争が近くなるにつれ、または戦中戦後のものについては簡素化される例が多いことから
この橋のデザインされた時期は世の中が戦火にまみれる以前のものであるのだろう。
親柱は4柱とも健在 橋上の路面は傷んでいる
親柱の保存状態の割には銘標が4枚とも欠けており、故意の破壊をうかがわせる。
陶板は風雨には滅法強い一方、打撃には脆いことから各地で故意による破損が見受けられる。
子供が興味本位で石で打ったなどということもあったのかもしれない。
側面より 残念ながら銘標は残っていない
親柱そのものはよく残っている
下部の構造
状態が長らく良好であったことから100年近く使われていたのだが、近年道路工事に特に力を
入れている山形市がついに更新に踏み切り、令和5年の4月8日には新橋の開通式が行われ、
味のあるコンクリート橋は見られなくなった。昭和が遠くなる。
昭和初期の風格
青柳橋 推定 昭和5年前後建造