橋自体が残っているのではない。現存するのは橋名と竣工年を示す石柱のみ。
「旧」花川橋ではなく、「古」になっているのは、これが先代の橋の遺構ではないからである。
先代の旧花川橋は昭和二十七年竣工であり、地区の人の話では丸太に土砂をかぶせた橋であったという。
花川橋の銘 竣工は なんと嘉永五年(1852)
道ばたにありながら、夏は草藪の中、冬は雪の中になり人の目に触れることはほとんどない石柱であった。
しかしこれがおそらく山形県の橋の遺構の中では最も古い貴重なものなのである。
現花川橋の付近の目立たないところにある
画面中心の黒い四角が石柱 この位置にある
現在、花川は大規模な改修工事を受けており、この地点も掘削される。移転は余儀なくされるものと思われる。
開削される花川周辺 工事の説明板 その裏にひっそりとある
この石柱は江戸時代(嘉永五年)に架けられた橋の一部であった。ペリーの黒船が来訪する前の年からあるということになる。
昭和五十九年に現花川橋が架けられるときに廃棄されそうになったものを近くの人がこの場所に移転してもらうよう要請し、残したという。
古いものではあるが状態は非常に良く、字がはっきりしているだけでなく、字の溝に施されていた赤い彩色の跡が現在でも見られる。
改修工事後も永く保存されることを願う。
現存地 山形市谷柏地区
平成14年に、画像に見られる花川橋が更に架け替えられるため、嘉永時代の親柱は
行き場所を失い、このままでは残土と共に処理されるのは明らかであった。 山形市
教育委員会に保存の要請をしたところ、付近の小さな神社の横に移転先を見つけて
もらえた。現在、親柱は花川橋を大きく離れることなく、安泰な時間を過ごしている。
追記:新花川橋完成後は再び橋の西側すぐのところに移されている。