片洞門

 

旧越後街道は近代には不適当な険道であったため、初代山形県令三島通庸は明治14年から5カ年ほどをかけ、

荷馬車も通行可能な新道を開削させた。とはいえ深山幽谷の地に、渓谷の岸壁を削ってつくられた道であり現代の

目から見ればこれでも十分危険な道である。しかし明治の時代から改良を重ね、昭和30年代まではこの道にバスや

     トラックを通していたのだから、その運転の苦労は察して余りある。

 

    

綱取トンネル飯豊側坑口の左方に旧道が残っている

 

    

現在は遊歩道となっている

 

  

路傍には蛇神が祀られている                 穏やかな佇まい

 

旧道跡が右に大きく回り込むと、頭上には岩塊が現れる。

左側には切り立った谷があるため、道幅をとるには岩山を削らなければならなかった。

しかし、巨大な岩塊を全て取り除くのは困難であるため、必要最小限の通行範囲を刳り抜き

道幅を確保した。その結果、頭上に大きく岩が被さる地点が多く生じ、片洞門と呼ばれた。

 

    

頭上の岩塊にはコンクリートの補修痕がある

 

  

転落防止用コンクリート柱の残骸

 

    

 足下の渓谷                              片洞門が続く

 

  

これだけ岩の被さった部分もトラックやバスが通っていたのである

 

      

当然このような落盤もある

 

    

片洞門観世音由来記

明治初年の開削時より観音様を祀って工事を進めたのでこの辺を観音坂という。

昭和8年秋にトラックが道を外れ転落しかけたが、木にかかり乗員は一命を取り留めた。

これもこの観音様のおかげだということについて記した表示板が設置されている。

 

  

 観音様の祠                 その先は落石で路上がふさがっている

 

越えるとさらに路肩決壊

通れるのはわずかに写真右手の板敷きの部分のみである。左方にある土留めから青いビニルシートまでは

土砂が陥没、流失しており、のぞき込むと底が抜けて下の渓流が見える状態。転落すると命にかかわる。

 

道はさらに奥へと続く

 

 

 

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