奥羽本線JR芦沢−舟形間には多くの長短の隧道があったが、いずれも単線であったため別ルートで新隧道が掘られ、
一部複線となった。それに伴い、明治36年開通以来の多くの隧道が放棄され、藪に埋もれている。
芦沢から数えて1番目の隧道 明治の威厳
この隧道は農地が近いこともあり、廃棄されたものの中で唯一利用されているものである。従って自動車で自由に通行できる。
2番目の隧道芦沢側 コンクリートで頑丈にカバーされた舟形側
ここだけこれほど頑丈に補強されているというには特別な事情があるのであろう。雪崩の起きやすい地形なのかもしれない。
3番目の隧道 内壁の状態
スノーシェード跡の骨組みが残っており、最も廃隧道らしい雰囲気がある。内部でカーブしている。
芦沢側坑口を望む 舟形側坑口
4番目の隧道 舟形側坑口
短い隧道であるが、高い位置にあり、この舟形側坑口と5番隧道の芦沢口だけは現本線の車中から見える。
間の藪はかなり深く、進むのに苦労する。
芦沢側坑口 舟形側坑口
5番目の隧道は地味な印象であるが、よく見ると美しい意匠が施されているのがわかる。
この隧道の出口は、現奥羽本線猿羽根山隧道の真横である。舟形側からは猿羽根山裾の農道を辿れば比較的容易に
訪れることはできるが、夏期は人の背ほどの草に覆われるため、坑口を発見できない場合もあると思われる。
この隧道群を見つけるまでは、列車に乗るたびに何となく「トンネルが減ったような気がする。」と思うのみであった。
実際に小さい頃何度となく通ったのはこちらだったのかと思いつつ廃隧道を前にすると、特別に感慨深いものがある。
今は亡き人も含め、かつて身の回りにいた多くの人々が何度となくこの隧道をくぐり、行き来した。その車中の様子に
思いを馳せると、不気味に静まり返る坑口さえ、懐かしい過去に通じるタイムトンネルに思え、離れがたい。
内容を ニヒト.アイレン TILLさんのアドバイスにより修正しました。
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