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その二 旧関山隧道

 

1996年調査時

 

国道48号線を宮城方面に向かうと大滝ドライブインがある。ここの店先に大きな石碑があり「殉難の碑」と

記されている。明治13年7月21日、関山隧道開削作業のための火薬運搬中に、失火のため火薬40箱が

      炸裂する事態となり、男女23名が犠牲になったとの記述がある。

ここを過ぎて約2km、右に旧道がのびているが、土砂廃棄場として使われており、自動車での進入は無理である。

ようやくのことでそこを越え、永昌橋を渡ると今度は大落石で路上はふさがっている。落石以前の状態は比較的良好

     な道路状態だっただけに残念である。(その後復旧)

宮城側からも旧道を見つけられるが、こちらは倒木が折り重なっている状態。以前噂になった幽霊騒ぎの事故慰霊碑

     にお参りをすると、急に眼鏡が曇り、なにも見えなくなった。雨も降り出し、調査を断念した。

     準備を整えて再調査をしたい。(心霊的なものかどうか不明)

 

 

ドライブイン敷地内の「殉難の碑」

 

 

大規模な落石により通行困難

 


 

関山隧道宮城側(2001年)

 

2001年夏、道の状態が悪いのを承知で宮城県側の調査を試みる。

 

    

          関山トンネル宮城口から数100mで旧道跡が現れる        藪の中にも国道の名残がかすかにある

 

     

     旧道入り口から間もなくの所に事故慰霊碑がある。参拝してから入山をする。

 

過酷な道行きが続く

 

 

       

               大荒れの宮城側坑口 向こうに山形側の坑口が見える              内部の様子

 

 

    

              宮城側坑口は鉄柵で閉鎖されている                        扁額は右文字

 

道は大荒れであり、山歩きになれた人でなければ、かなりの苦戦を強いられる。絡みつくツタや棘のある木々、

ぬかる足下などに耐えて徒歩約45分で坑口にたどり着く。不気味な鉄柵による閉鎖。内部には水が満ちており、

           どこから来たのか魚の姿さえある。宮城側は、完全な廃道といえる状態である。

 

 

 

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