その四  笹立新道(善宝寺〜湯野浜)1

 

 

善宝寺から湯野浜に至るには小山を迂回する必要がある。これは、昭和50年に廃止された庄内交通の電鉄も同じであった。

しかし、その遙か以前、この迂回を解消しようと、地元の篤志家阿部與十郎氏(亀屋ホテル)が新道を掘削した。

笹立新道−−−今は廃道として残る「新道」がそれである。

 

                                      笹立新道開鏨記念碑

明治四十二年起工 同四十四年竣工

 


新道は湯野浜−善宝寺間を隧道で抜けるものだった。湯野浜側からは温泉街を離れ、笹立不動尊前を通って山に向かう。

隧道をくぐって反対側に出ると山道をしばらく下って善宝寺の南側に出る。そのような構想の元、実際に工事が行われ、

隧道も貫通した。距離的にも合理的で申し分のない新道のように思われたが、地元の人は実際には余り利用せず従来の

通り山裾を大きく迂回する道を通ったという。その理由は、照明のない暗い洞穴内を歩く不気味さ、地下水落下の不快さ、

そして決定的なのは、時折起こる落盤に対する不安であったという。結局短期間でこの道は見捨てられ、忘れられた。

現在隧道口は土砂に埋もれ、わずかにかつての名残を示すにとどまっている。

 

全長約250m

笹立隧道善宝寺側

 

落石よけの屋根の最上部が積もった土砂や落ち葉の間にわずかにのぞいている。通行はもはや不能のようであった。

 

笹立隧道再訪(2002.9)

 

 

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