明治44年、苦労の末に開通した笹立新道は湯野浜−善宝寺間の最短ルートであった。
開通初期には人々の通行に加え、牛馬の行き来もあった。そのうち、自動車が発明され、
少ないながらも通行するようになって、大正12年には隧道の改修がはかられたという。
一時は人面魚騒動で賑わったドライブインも今は廃業している
このドライブイン駐車場の奥左に 笹立道の入り口がある
この道が廃道後も通行可能な状態を保っているのは、地元小学校の学校林になっている
という事情もあるようで、そのおかげか徒歩での通行には何ら支障がない。(2002.9現在)
通常の林道と変わらない状態
一部 日なたは藪になっているが 隧道口までは徒歩15分ほどで着ける
刳り抜かれた岩穴の下方に入り口がある
落石除けの木材は今も残っている
残っていた落石除けの残骸は腐朽し、一部倒壊していた。おかげで内部に進入できる
くらいの隙間が現れたため、前回は見ることの出来なかった坑内を今回は調査できる。
坑内は水に満たされている
大正12年の改修のあと、自動車も通行したらしいが、この場でそれを想像することは難しかった。
昭和15,6年頃の大きな落盤が隧道の命運を断ち、それ以来向こう側の光は見えない。
坑内は漆黒の闇である
深い林に開口し、その上ほぼ埋もれかけている隧道内にはほとんど光は届かない。
生者の訪れるところには相応しくない雰囲気が漂うが、今見ておかなければ、ここは
近い将来、瓦礫の下になっているかもしれない。
光が少なく、あまりに不鮮明なので、あえてフラッシュ撮影による画像を添えるが
これは全く現場の雰囲気を表してはいない。
一部崩壊しながらも残存する落石除けの遺構
掘り跡の残る洞壁 ほぼ埋もれかけた洞口
坑口前に刳り抜かれた岩穴
実際の明るさはこの程度
地元の老人は反対側の洞口は崩れてしまっているという。しかし、この目で確認しないうちは納得できない。
強烈な藪のため、植物の繁茂する時期では近づくのが難しいのだがいずれ自力で確認したい。