旧馬見ヶ崎橋
画像のあたりには戦後バラック街があった
山形市薬師町と双月町・印役町を結ぶ「馬見ヶ崎橋」は、市内で最も有名な橋であろう。
有数の暴れ川であった馬見ヶ崎川は増水のたびに大きく流れを変え、江戸時代には
現在の文翔館付近を流れていた。その後鳥居氏が流れを変更する工事を行い、
そのため周辺は万日河原と呼ばれるような土地であったが、初代県令三島通庸によって
県庁となるよう埋め立て整備されて現在は市街地となっている。流れが替えられた後も
馬見ヶ崎川はやはり増水のたびに人々を悩ませる存在であったことに変わりはなく、
コンクリートによる強固な永久橋として昭和8年、馬見ヶ崎橋が架橋されるに至ったのである。
親柱には昭和八年の表記がある
印役側には店も多くあり 歩いて渡る人も多かった
補修が加えられながらも80年ほどの年月を重ね、馬見ヶ崎橋にも耐久性の限界が訪れた。
市内の動脈であるこの橋は、通行止めを伴う架け替えなどはできるはずもなく、
現橋と同等の交通量に耐える仮橋を設え、数年をかけての更新が行われることとなった。
親柱は八十年ものとは思えない端麗さである
古くは九十九橋と呼ばれていたか
この橋の親柱は、過去の画像を見ても形状に変化がなく、おそらくは当時ものであろう。
しかし、それにしても経年劣化の跡があまり見られず、灯火類も現役である。
県内の同時代の橋では灯火類が生きている例はほとんど見られず、欠けも多い。
よほど丁寧なメンテナンスを受けているものと思われる。
仮橋と並行したまま取り壊される馬見ヶ崎橋
護国神社や馬見ヶ崎堤などで花見が行われる時期には、この橋を渡って印役町側に
団子等を買いに来る人々も多くいて、周辺をにぎやかにしていた。
芋煮会の時期には雨天の避難用として橋の下を利用することも多く、いも煮の竈のあともあちこちに見られていた。
戦後だけでなく何度か、ここに人が住み着き、問題となっていたこともあった。また、ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」には
この橋の姿が主人公の通過道としてリアルに描かれている。通過する自動車は360t時代のスバルR2であった。
架け替え後は以前と同じ親柱が移築され、代替わりしたことさえ気づかれないような状態となっている。
旧馬見ヶ崎橋 (昭和8年〜平成28年)
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