三崎峠に見るように、庄内−秋田間の道は永らく通行に難儀する悪路であった。南光坊永順法師がこの道を住民や旅人
のために開削しようとしたのは1839年(天保十年)のこと。独力で昼夜を分かたず道を開き、以後の交通に貢献した。
現在この道は主たる役目を国道七号に譲っているが、住民に大切にされ現代にその姿を残している。
旧国道七号と羽越本線 湯の田踏切
踏切を越え公民館をすぎると徐々に道は登りに
道ばたの民家 塩害にやられる凄まじき例
緩やかなカーブを描き登ってゆく
日本海を見渡す
いよいよ坂がきつくなる 途中にある「南光坊坂開削の碑」
碑文は風化し読めないところが多い えぐれた文字もある
この碑は法師が亡くなった1858年(安政六年)に建立されたもので
法師の功績を讃えるものであるとのこと。「南光院」くらいは読める。
坂の途中に神社もある
上り詰めた所にある表示
すでにアスファルトで舗装され、昔日の雰囲気には乏しいが、見捨てても不都合無いほどのこの道を
地元では落石除けまで設けて今日まで保存してきた。南光坊がたった一人で人々のために開いたという
事実への尊敬の念の現れであろう。