福島側2〜山形側
長い長い曲がりくねった道を登り切ると、風化した明灰色の坑門が現れる。
永い年月を経て傷みは進んでいるものの現役のような面構えである。
大峠隧道 福島側坑口
扁額の文字は右から 雑な補修がなされ 角がない
内壁は剥落 崩落が進む
福島側坑口を振り返る 内部に置かれたバリケード
山形側には深い水たまり 直進は崖
以前、夜間に山形側からこの隧道を通ったときには気づかなかったが、福島側から入ると出口直下は崖になっている。
照明も全くないこの隧道にあっては夜間の通行は、誤って直進した事態を考えると、命がけであったことになる。
山形側坑口の様子 道は右方向に90度曲がる 山形側坑口 直下の光景
福島側坑口のような扁額が見あたらない
大きく傾く県境表示板 根元の状態
上の写真の右は隧道、左は崖であるが転落を防ぐガードレールなどはなにもない。
福島側に比べ、山形側の道路状態は悪く、完全な廃道状態といえる。
明治17年頃、この隧道が完成したときには坑口は石積みであった。労働力は主に路線沿いの住民の強制労働(夫役)であり、
15才から60才までの男女が1名につき2年間、月2度の無料労働義務を負わせられた。出なければ罰金の納付も決められて
いたので住民の負担は大きく、建設を命じた三島通庸は「鬼県令」と呼ばれることになった。当時は訴訟問題にもなったようだ。
この隧道が昭和9年に拡幅されると定期バスの運行も可能になったが、隧道地点の標高は1,150mもあり、道路線形も悪い
ため冬期間の通行止めも6ヶ月間に及んだ。名前は「国道」の121号であっても、実用には問題が多いことから新大峠トンネルは
一気に標高を474mも下げ、西へ5km離して造られた。延長も3,940mの長大トンネルとなっている。
1992年、新トンネルの完成を受けて旧隧道は廃道となった。
大峠隧道 全長59.0m 幅5.1m
昭和9年竣工