今は十本余のトンネルで快適に越える大峠も、ほんのわずか以前までは国道の名を冠しているとはいえ、かなりの難所であった。
旧道に掘られた隧道は大峠隧道一本のみ。そこにたどり着くまでの道は厳しい。
山形側
現道から八谷というところで旧道が分岐している。入り口で既に道が通じていない旨の表示が出ているが、行けるところまでは行く。
山形側から行くと旧道は左に折れる 途中には猿の群
間に数本の橋がある。隧道とほぼ同じ時代の、昭和十年代のものも複数ある。(別途公開)
大猿倉澤橋前にこの表示 親柱 欄干とバリケードは鎖で結ばれている
通行止め表示後は落石で道が狭まる
徒歩または自転車以外は通り抜けできない
福島側1
一度現道に降りて多くのトンネルをくぐる。慎重に旧道を探し、福島側を上り始める。
旧121号線 途中までは生活道として利用 表示はあるが道が通じているわけではない
人家がなくなるとその先には砂利業者の作業所があるだけである。業者の車両は自分の会社の構内のつもりで
右側を対向してきたうえ、よけなかったりするため注意が必要である。
だんだん道が狭くなる 通行止め表示後も車両通行可能
いやになるほどのヘアピンカーブが続く 大峠隧道福島側
福島側の気の遠くなるようなカーブの連続は、現役道当時はだいぶ有名だったようだ。
現道当時に夜間、山形側から越えたことがあるが、里の灯りが眼下に見えるようになってからも
幾度ともしれない急カーブが続き、永久に下りられないのではないかと思ったほどである。
自分で運転している車に酔うという経験をしたのもこのとき限りであった。