陸羽東線跨道橋隧道1
陸羽東線の開通は大正6年。その際交差することになった道の中で、線路の方が高くなっている数カ所については
踏切ではなく跨道橋として工作された。跨道橋は鉄道側から見て橋ということだが、道路側から見れば隧道状の形を
していることがある。南陽の鳥上坂隧道も同様の成り立ちで、国道との交差であったところから道路側からの見方が強く、
また、施工上も立派な隧道坑門を備えていたこともあって隧道として親しまれている。
最上町の高橋川橋付近にあったこの跨道橋も、鳥上坂隧道に負けない綺麗な煉瓦組みを見せていた。
南側坑口 上部の平坦地が鉄道
人車の通行路と水路を兼ねている
水路としての使途は想定されていなかったと思うが、現況は道と水路の兼用となっている。
さほど深くはないものの、水流は坑内のほぼ全域を占めており、短靴では浸水するであろう。
扁額はない
足下は浅い川状
見事な煉瓦巻き
坑内は経年劣化を全く感じさせない見事な煉瓦巻き。頭上が山ではないだけに、地下水浸透や
大きな地圧に痛めつけられることは少ない。施工が古くても煉瓦が良好な状態を保持しているのは跨道橋隧道の特徴である。
側壁に書かれた年月? 寸法
コンクリートの側壁には「昭.17.5 0.5m」 「30.7.17」 「45.6.18」などと書かれていた。
これが補修工事等の年月を表すものかどうかはわからない。
南口を望む 北口方向
北側坑門の様子 こちらにも扁額はない
坑内にも変色がある
こちら側では坑内数mまで黒い変色が見られる。直射日光の当たる南側とは条件が異なるためか。
北側では道がのぼりになっている
隧道として施工されたものではないため、正式な名称は地図上にも現れない。
鉄道会社の記録にはあるのだろうが、現段階では名称を知り得ない。
陸羽東線 跨道橋隧道 名称不明