白岩隧道
寒河江市白岩付近を通る国道112号線から寒河江川を挟んで慈恩寺に至る道がある。
現在、その道は昭和12年建造の臥龍橋によって寒河江川を越えているが、慈恩寺側に
位置する隧道は、その以前より参詣する人々を迎え入れていた。
現 臥龍橋
臥龍橋 国道側(左) と 慈恩寺側(右)
慈恩寺側は岩山を垂直に切り通した特殊な道になっており、橋を渡ると間もなく左右の分かれ道となる。
左には岩にめり込むように建っている商店があり、右には岩を貫く隧道がある。
左は商店:右は隧道
白岩隧道(西口)正面
商店の現在の名は松月亭。現在は酒や煙草を商っているが往時は茶屋であったという。
かつて茶屋だった時代にはもう少しゆとりを持って建てられていたのかも知れないが
自動車道を通すにあたり、岩にへばりつくような建物にならざるを得なかったのだろう。
松月亭と隧道の位置関係
坑門と内部
1700年代には300mほど下流に架けられていた橋が現在の位置に移ったのが1827年(文政10年)。
隧道が当時掘り抜かれ、参道になったとすれば180年近く以前のものということになる。
本来の素堀の岩穴を現在の形に整備したのが昭和6年ということになるのだが、それ以前の履歴は判然としていない。
内部より西を望む(左) 東を望む(右)
坑断面が弧を描いているわけではなく、角が見られ、壁面が垂直に整備されている。
坑門に扁額は見られない
現在見られる壁面、坑門は昭和6年のものより遙かに新しく、近年の補修によるものと思われる。
隧道の内部長も昭和6年改修当時の、延長38mより長く感じられる。両坑口付近に若干の付け足しがあるのではないだろうか。
隧道(東口)の様子
以前は徒歩で通っていた参拝者が昭和に入って自動車を利用するようになり、参道は
車道に姿を変えざるを得なくなった。隧道は拡幅され、追って臥龍橋は木造からコンクリート製になった。
廃仏毀釈で各地の寺院を追われた仏像たちが住処を替え、ここ慈恩寺に流れ着いたように
参道もまた時代に合わせてその姿を変えてゆく。
臥龍橋 親柱
白岩隧道 竣功不明 昭和6年 コンクリート被覆