その他  現役隧道集6

 

 

陸羽東線跨道橋隧道2

 

 

出羽仙台街道−−−900年以上も以前の1187年に、源頼朝に追われた源義経が弁慶らを伴って通ったとされる古道。

 

出羽仙台街道の案内が出ている

 

 

義経、弁慶らが歩いた地に自分が今いるということがピンとこない。伝記が本当かどうか疑わしいと言うよりも

1000年近い時の長さが掴めないためのことである。100年に満たない人生の中で、また、現在その一部しか

          生きていない中で数十年単位以上の年月の実感がないのは当たり前のことであろう。

歴史年表上100歳も年齢が違う人物も、自分の頭の中では同時代の人のように思い込んでいることも珍しくない。

だから、自分では掴みきれない時間の流れよりも明治、大正、昭和と何とか自分でも掴めそうな時代に、より興味を持つのである。

 

 

かたちは卵型

 

国道47号通過時に国道からもよく見える位置にある。

 

旧琵琶澤橋より宮城側にあるこの隧道(鉄道跨道橋)もまた、旧道が陸羽東線と交差するために

設けられた煉瓦造りのものである。山形寄りにあるものとは型が異なり、卵型に近い。理由は不明。

 

上部はかなり尖っている

 

 

   

側面はすでに大部分がコンクリートに覆われてしまった

 

山形よりのもの同様、路面には水流が走っているが水量はそれ程多くなく、徒歩通過に差し支えはない。

 

国道47号側坑口を振り返る

 

 

  

古道側坑口と流れ込む水流

 

純粋な隧道ではないにしても、十分な風格は備えている。名称が明らかでないのが惜しい。

 

 

 

  

坑口の様子

 

坑口付近は変色しているにしても内部の煉瓦の赤褐色は十分残っており、側面がコンクリになる以前の

様子はかなり美しかったものと想像される。現役の鉄道構造物ゆえ、撤去は廃線にでもならない限り

ないとは思うが、補修するにしてもこれ以上コンクリートの面積は増やさずに管理して欲しいものである。

 

 

内部水流

 

 

列車通過の瞬間に「橋」の顔を見せる

陸羽東線 跨道橋隧道 名称不明

 

 

 

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