2002年に再度訪問すると、橋の親柱は既に元の位置には無く、公園のモニュメントとして移築されていた。
失われていた照明設備も再現されており、廃橋を何とか活用しようとする関係者の努力が見える。
親柱は地下道入り口の門柱となっていた
石材は後補の部分もあるが 銘標は本物であった
本来の親柱の存在位置
表面の石材を引き剥がされた 本来の親柱
左市内 右秋田 (北へ向かって) 背景の山は出羽富士と呼ばれる鳥海山
鉄骨材の製造は造船会社 昭和9年製造の刻印
北側の端
北側の親柱も移築されていた
親柱は南側に2柱、北側に1柱ということで3柱しか現存しない。北側の残り1柱は保存の必要なしと判断されたのだろうか。
本来あるべき場を離れ、モニュメントとして再生された親柱は所在なげに見える。何しろ本物の親柱の芯が表面を剥がされた状態で
墓石のごとく立ちつくしているのである。橋が撤去されてしまったのなら別だが、存在する限りは親柱は親柱の場所にあるべきだと改めて思う光景であった。
昭和11年竣工 橋長 714m