戊辰戦争時の激戦地として知られた清川口の腹巻岩と御殿林をつなぐ橋である。この地点は月山より流れ下る
立谷沢川が最上川に合流するところで、舟運時代から交通の要所にもなっていた。
明治初期までは陸路ではなく舟で交通するのみであったが、明治十一年にわずか三ヶ月で長大な木橋が架けられた。
しかし、大河川同士の衝突地点であるため流れも厳しく、たった三年で流されてしまう。その後三度にわたって架け替え
されたというこの橋の、先代の親柱が残っていた。
現在の国道47号と東雲橋
「東雲」と書いて「しののめ」と読む 旧親柱 2柱とも健在
直線的なカットが魅力的
親柱は無事だが銘標は全て失われている
欠けの部分を見ると中に木材が埋め込まれていた
草に埋もれるコンクリートの柵 東雲橋に並行して架かる鉄道橋
腹巻岩を貫く鉄道隧道 親柱正面の叶宮神社
現在の橋は昭和44年竣工
架橋当初の先代橋(東北の道路今昔より) ほぼ同位置からの現状
昔の画像右奥に見られる御殿林は伐採されて無くなっているがほぼ同位置からの様子である。
この画像に見る親柱が残存する二柱と思われるが、よく見ると若干の相違が見られる。
現存するものには有る最上段が竣工当時の画像にはみとめられない。
後年の補修によるものか、または写真が修整されたのであろうか。
先代東雲橋竣工の推定は昭和11〜13年。
昭和44年に現橋に切り替わると、残念ながら旧橋は落とされた。
なお、東側の2柱は残っているものの対岸の親柱は既に無い。