飯豊側坑口
旧宇津トンネルに続く道は特殊な線形になっていた。現在の道は、ほぼ自然に無理のない線を描いて新トンネルに流れ込んでいるが、
旧道は、現在新トンネルが貫いている山を目前にして直角を描いて折れていた。主要国道の交通量では重大な事故の原因にもなり
かねない危険な状態のまま旧トンネルに車の流れを導いていたのである。
このような線形が採用されてしまった背景には、できるだけトンネル延長を切りつめ、経費を浮かせたいという事情が見え隠れするが、
交通戦争開始の時代であった昭和40年代には、コスト切り詰めは安全に優先する、というのは当然の思想だったのである。
こうして無理のある線形で狭く、低く作られた大動脈は、後の時代の安全思想により老朽を迎える前に葬られることとなった。
小国側に向かう現道の下をくぐる旧道 直進の現道と分かれ 直角に曲がる旧道
直角付近にある宇津大明神 事故回避を期待されたものか
トンネルに注意するよう幾重にも警告が出されている
「トンネル内通行注意」と「トンネル内徐行」
文字が消えかかっているものの、トンネル内徐行の表示がある。暗いトンネル内に突入してすぐ、前車が急にスピードを落とす
ことは、これも事故の誘発条件になる。表示が逆にあだになることもあったのではないだろうか。
草木に埋もれた坑口と竣工年標(昭和42年)
坑口の現状と坑内
このときは向こう側の坑口の明かりが見えなかった。落盤しているわけではなく、向こう側からはこちら側の坑口は見える。
靄のかかる山の中にさらに宇津峠旧々道が眠っている
わずかなトンネル延長短縮のためにねじ曲げられた路線は、経費節約どころか結局無駄となった。
「安物買いの銭失い」とは後の世なればこそ言えることなのであるが、まさにその典型となってしまった。
旧宇津トンネル 延長915m 幅6m 高さ4.5m
(2002.7)