現役の古橋 45

 

 

一貫清水橋

(いっかんしみずはし)

 

   旧13号線(現112号)が恥川を跨ぐ、山形市荒楯地内にその姿を残している。名の由来は付近に湧き出ていたどっこん水(自噴湧水)

  であるらしい。その清水に関連する水神碑が1つ下流の橋のたもとに残っている。

   昭和初期、この道は「産業道路」として開発された。昭和5年当時の写真には、切り開かれた道の端にぽつんと白くこの橋が写っていた。

 

  現在は親柱の状態はあまりよくなく、銘標もすべて失われ、竣工年も不明となっている。交通量の多いこの地にこれだけ古い橋が現役として

  残されていることは驚きであるが、それだけ作りがしっかりしているということであろう。

 

昭和5年(1930)の画像  (北)鉄砲町側を望む

 

桑畑、水田を切り開き、山形市中心部から延伸した産業道路建設途中の様子。

当初から将来の幹線道を想定し、当時としてはかなりの道幅をとっていたことがわかる。

現在も残る一貫清水橋の親柱は両脇に白く、真新しく写っている。

 

平成17年(2005) ほぼ同位置からの様子

 

 


 

 

1999年の様子

  

 

 


2005年

北東側親柱

 

 

   

 

だいぶ傷んでは来ているものの、当初の意匠はよく残っている。

 

銘標は全て紛失している

 

 

この北東側の親柱の付近には、昭和7年の産業道路完成記念碑が建っていた。

しかし、その位置が歩道の妨げになることもあったためか、昭和50年代にこの碑は

1kmほど北側の山形市立第六小学校横に移されている。

 

 

移設された碑

 

産業道路開設の説明書きがある。昭和7年当時は一貫清水橋まで道路が整備されたことが記録されている。

その後、上山方面まで産業道路が延伸されるまでには更に3年以上かかっている。

 

  

左:記念碑                右:移設の経緯を記す碑

 

 

  

高欄と恥川(はずかしがわ)

 

 

 

  

南東側親柱

 

 

西側高欄

 

当初から広くとっていた道幅が幸いし、両側の高欄、親柱とも移転や更新を免れている。

 

 

  

一貫清水橋  推定:昭和初期竣功

 

現在国道112号となっているこの道は、以前は国道13号であり、最重要幹線道路であった。

ここより北(秋田・青森)に行く車も、南(福島・東京)に行く車も必ずここを通った。

後年、山形バイパスの完成にあたり、その名と役目を譲渡したが、現在でも重責を担っている

ことに変わりはない。竣功当時の大きな期待を受け、75年以上も風雪に晒されながらもその責を果たし続けている。

 

 

 

 

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