現役の古橋 44

 

 

幸橋

 

 

高畠町幸町に明治の橋がある。ここに姿を現したのは百年以上前。

年代的には、山形、上山、南陽などに次々に石橋が架けられた明治10年代初頭のもので、

これもやはり、初代県令三島通庸の出身地、薩摩の技術的影響の元に建設されたものであろう。

 

 

  

 

街並み整備事業の一環として完璧に整備された石橋は、もはや平成の建設物となっていた。

地元高畠石からなる他に類を見ない高欄の意匠は、もしかするとオリジナルのものとは異なる

可能性もある。もちろん石材は新しく、大規模な道路幅拡張に伴い橋幅も従来の数倍に拡がっている。

これを明治の橋と呼んでいいのかは迷うところであるが、小規模な橋を地元の資産と判断し、

こういう形で投資し、保存(復原)する努力には頭の下がる思いである。

 

個人的には、時間の経過をそのまま残すという意味で、荒れたら荒れたなりの形で現存しているのが

理想である。新材料を用いての復原は経過時間を消してしまうからである。しかし、この橋の所在地が

町の中心部という事情ではそうもいくまい。観光的な見地からも完全撤去か完全復原かの

二者択一だったのであろう。それでも完全撤去よりはずっと良い判断である。

 

整然と積まれた高畠石の高欄

 

近年の改修であるが、それまでほとんど気に留められることも余りなかったこともあり

改修直前の画像も、印象もない。単なる白色ガードレール橋になっていたのであろう。

また、復原とは言ったものの、本当に明治の姿そのままになったのかどうかを確認

できる資料もない。そのため、オリジナルの意匠ではない可能性という疑いを差し挟んだ

のである。少なくとも元の数倍の幅に拡がっているわけであるから、アーチ部の石材が

オリジナルだとすれば拡幅部は全く別の部材によって補填されているわけである。

 

いずれにせよ裏付けの資料の所在は町当局に確認するしかないが、

この改修で更に一世紀、橋の寿命が延びたことは素直に喜んでよいことといえよう。

 

 

  

橋長を遙かに越える幅員が与えられた

 

 

幸橋(さいわいばし) 明治十二年

 

 

 

 

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