53.福田橋(山形市)

 

 

山形市の黒沢温泉に「ゆずりあいの橋」と看板の掲げられた橋がある。

しかし、この橋がかつて呼ばれていた名はそのような生易しいものではなかった。

 

 

 

 

 

古来、集落と農地を繋ぐこの場所には橋が架けられていた。しかし、古い時代には

橋といっても杉を背割りした一本橋で、川中3箇所に設置した石塚の間を渡す形で

つなぐ極めて危険なものだった。農作業に用いるため、重い荷物を背負って通ることも

まれではなく、転落しての落命も相次いだ。橋の本来の名は「大川橋」であったが、

恐怖に駆られながら渡らざるを得ない人々はこの橋を「地獄橋」と呼んでいた。

 

  

 

須川は典型的な暴れ川で、増水による周辺の被害は毎年相当なものであった。

橋は戦後の記録だけでも昭和24年8月、27年7月、29年8月と2、3年に1度流される

始末であった。34年7月に架け替えられた橋も9月に伊勢湾台風に遭い、翌35年に

架け替え工事をせざるを得なかった。36年に竣功した橋は、流失の続く「大川橋」の

名を嫌ってか、村の氏神というべき福田神社に因んで「福田橋」と改称された。

 

    

    

改修の進んだ須川に暴れ川の異名はなくなった

 

幅2mの木橋は農作業用車両通行を可能にした。しかし、氏神の名を冠しての願いにも

かかわらず、42年8月、46年8月と流失頻度は相変わらずで、昭和54年4月にコンクリート

橋に改められた新橋が竣功することとなった。車の通行も可能なこの橋は須川の

改修工事の成果もあり、その後の流失は免れている。

 

 

  

  

 

黒沢温泉街

 

黒沢温泉の歴史は比較的浅く、湯の湧出は昭和45年のことである。温泉地になったことと

川の対岸に山形バイパスができたことから交通量は増えた。さらにその後バイパス側が工業

団地になったことで通過する車両はかつての比ではないのだが、農作業車が通れればいいと

いう条件で整備された福田橋の幅の狭さは相変わらずである。平成5年に改修を受けている

ものの根本的な解決にはなっておらず、やはり「ゆずりあいの橋」として付き合っていくことになりそうである。

 

  

夕暮れ時の交通量は特に多い

 

現在の橋は歴史的には何の価値を持つものではないが、この橋が架けられ

「ゆずりあいの橋」となるに至るまでの経緯は記録に残しておくべきものであろう。

 

 

福田橋

 

 

※この橋はその幅員の狭さがやはり交通のネックとなるとして

平成15年頃から架け替え工事が始まり、長い不通期間を経て

更新された橋が平成20年に開通している。

 

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