明治の道路開削時に、当時の調査役が弁当を開いたことからついたと云われる、風変わりな「弁当沢」の名。
この沢は、さほど大きなものではないため、明治時代にはほんの数mの橋が架けられていた。
しかし、道路線形が急角度で折れる地形であったので、そののち昭和十六年に二代目弁当沢橋が施工され、自動車通運にも対応
できる対策がとられた。
現在では更にスムーズな自動車の流れを可能とする三代目の橋が使用されており、旧橋、旧々橋は藪に埋もれることとなった。
国道113号弁当沢トンネル東口 東口から見て左が旧道である
旧道を奥へ 直進が旧々道 右は旧道
植物に埋もれる橋上の状態
竣工年を記す親柱 昭和16年竣工
草間より垣間見える欄干
橋名は旧字体で「辨當澤橋」 近づくのが困難な親柱さえある
両側に親柱があるのがようやくわかる
親柱東側2柱は上部の方形の装飾が破損、欠落してしまっているが西側2本には
大きな破損が無く、竣工当初の姿により近いと思われる。
橋上から見る辨當澤 初代の橋の橋台が今も残っている
辨當澤と呼ばれるこの沢の本来の名称は合体澤である。
調査時期は7月だったが、沢の一部には薄汚れた残雪が確認された。
2代目の橋を横から見る
現在車道に供給されている橋は、紅葉橋と名付けられ、弁当沢の名は消えている。
辨當澤橋 初代 明治14〜19年架橋 二代目 昭和16年架橋
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