管野第一隧道2
元々ダム建設の作業道として作られた管野隧道には、一切の装飾は施されていない。
坑門は素っ気ない単純なコンクリート施工であり、そこには名を記す扁額さえ無かった。
単純なコンクリ坑門と鋼板巻き
隧道内から振り返る
隧道内に入るとすぐ、坑内に降りる数段の階段が現れる。人道トンネルから続く通路は
一旦管野隧道内で合流する。逃げ場のない隧道内に人員を誘導するわけであるから
人道トンネルは、建設時の多数の車両の往来から歩行人員を保護する目的のためのものではなかったことがわかる。
隧道の前後及び間をカバーしている配置になっているところから、積雪時の歩行路確保の目的で
あろうことまでは推測できるのだが、管野ダム側はいいとして、その反対側では第2隧道を出たあと人道トンネルは
10数mで終わってしまっているのである。
そこまでの長い道のりについては積雪について無対策であることを考え合わせると、この区間
だけに人道トンネルを設置したところで、果たしてどれだけの実効性があったのかは疑問である。
隧道内へ合流
下流:第2隧道側を望む
隧道が終わるとまた現れる人道トンネル
人道トンネル内部
第2隧道に続く
この右側の壁のようなものの中に人道トンネルが通っている。切り立った山肌を削って
施工した区間であるためここは特に冬期の落雪、或いは雪崩の心配は大きかったであろう。
第1隧道下流側坑口
人道トンネルの実効性の他にも疑問の痕跡がある。第1隧道を迂回するように
架けられた橋の橋脚が残存しているのである。ダム建設時の一時的な工事用仮橋
の橋脚ではなく、当時の県道級の施工である。第2隧道も迂回する形であれば、隧道
施工以前の遺構とも思えるのだが、第2隧道口に接続する線形であるため疑問が深まるのである。
橋が使われていた時代、第1隧道は無く、第2隧道のみが存在していた(隧道名は別にして)
と考えるのが最も自然かと思うが、隧道の竣功は双方昭和26年であり、その可能性は低い。
もう一つの可能性は、この区間を1つの橋と1本の隧道(現:第2隧道)で切り抜けようとしたが
隧道2本に計画変更になった場合である。この場合、橋は実用に供される所までは施工されな
かったであろう。橋脚のみが完成した時点で放棄されたのかも知れない。
いずれにせよ、資料の乏しい現段階では断定し得ないことである。
第1隧道脇に現存する橋脚
断崖に建つ数本の橋脚
第1隧道を迂回し 橋脚は第2隧道に続く
その後、東北地方整備局
長井ダム工事事務所のご協力により、以下のような情報がもたらされた。 第1隧道脇に残存するコンクリート橋脚は、管野ダム建設当時の骨材運搬ベルトコンベアーの橋台(基礎)だった。 |