近くにある案内板によれば、諏訪堰(浅立広野用水堰)は慶長十年(1605)に開削されたとのことで
既に400年余の年月を経ている古いものである。取水は山形県随一の河川、最上川。この堰の完成に
よって、4000石近くの収穫を得る田を作ることができたというのであるから地域への功績は大である。
水門:最上川から水を取り入れる
この道路(兼 堤防)を潜って水が供給される
水路を跨ぐ橋
大河 最上川から取水しているわりには水路は細く、広大な範囲を潤すには不足ではないかと思えるほどである。
細い水路を跨ぐには充分過ぎると思える諏訪橋
白鷹町から最上川を越えて長井に入る長井橋のすぐ東に所在するのだが、通行量は少なく知る人もそう多くはない。
親柱 高欄の様子
親柱、高欄共によく残っているが、後補ではないかと思える部分もある。
特に親柱のうちの一つは外した跡さえなく、銘標を失っている。後補か
または大幅な補修を施したものであろう。年代的にはその様相から昭和
初期から10年代のものであろうと思えるが、竣功年の銘標が残っていない
こともあり、確実なところは不明である。
残存する銘標は三枚
最上川に近いこともあり、昭和42年の大増水時(羽越水害)には、高欄、親柱とも
激流に洗われたものと推測される。そのためか、高欄も一定ライン以下の部分が
色が違っており破損も大きいように思われる。
交通量は極めて少ない
付近は古跡も散在する散歩道として紹介されている
400年前の堰に架かる昭和初期の橋は相対的には新しい、ということになろう。
周辺の石碑から見てもこの橋は若造に過ぎないであろう。しかし、今やその風格は
それら古来のものに遜色ないところまで満たされている。風雨天地の作用が橋を鍛えた。
諏訪橋 推定竣功 昭和初期〜昭和10年代
topに戻る) (橋梁topに戻る) (現役橋topへ) (前ページに戻る) (次ページへ)