48.押沢橋(山形市)

 

 

 

 

山形市菅沢から柏倉に向かう旧道に幾つかの古い橋がある。

このコンクリート橋もその一つであるが何の変哲もないその姿のため、

ほとんど誰にも顧みられることなくひっそりとその役を果たし続けている。

 

押沢橋

 

 

      

南側親柱 二柱

 

この橋を見て驚くのは、その意匠ではなく銘標の竣功年表示である。

「大正拾五年九月竣功」  県内に残る数少ない大正の竣功ということになる。

 

 

しかし、親柱及び高欄のデザインからそれを伺うことは難しい。

単純な角柱のコンクリートに鉄パイプの柵。普通に考えれば昭和40年代

の造りであろう。大正時代の姿そのままとは考えにくく、後年新たに改装された

ものに竣功当時の銘標を填め込んだと見るのが妥当であろう。

 

 

 

西側は民家の塀

 

 

 

  

北側親柱 銘標

 

そしてまた不思議なのは橋の両側の状態である。

西側は民家の敷地に巡らされた塀に接しており、東側は畑。

河川は見あたらない。暗渠にされたのかもしれないが、民家が

建ってしまっていることから埋め立てられた可能性もある。

 

川の名は遅沢川。橋の名と一字違いだが河川名と橋名の

字違いや微妙な読み方違いはよくあることである。この川が

現存するのどうかは河川の延長線上を隈無く探せば確認

できることであるが、この時はよくわからなかった。

 

東側の畑

 

高欄や親柱は更新されたのかもしれないが、押沢橋がこの地に

80年も前からあり続けるのは事実である。河川の見あたらない

状態では今後も残されるか心配されるところであるが、むしろ

実用性が消滅していることで、逆に更新による撤去の可能性が

無くなったともいえる。あと20年、架橋百年まではこの場に姿を

                         残して欲しいものである。

 

押沢橋  遅沢川に架橋(河川未確認) 大正十五年竣功

 

 

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