朝日村田麦俣の、旧112号線(六十里越街道)が田麦川と交わるところに架けられた、コンクリート橋である。
橋の下部は鉄筋のアーチで補強されているのだが、周りの樹木の繁茂により冬季以外はなかなかその様子を見ることが出来ない。
旧道となり 交通量もほとんど無くなった 橋の構造自体はしっかりしている
川面からはかなりの高さがあるため、転落防止のためと見られる目の細かい網が欄干の間に張り巡らされている。
また、昭和一桁の建造にしては親柱等の損傷がほとんど無く、後補ではないかと疑われるほどである。
本来の高欄のデザインでは危険なためか 網がかけられている
地区は田麦俣だが橋名は「田麦」橋
素っ気ない親柱 樹木の間からわずかに見える
橋の付近の地蔵尊と 竣工年標
この橋がなければ集落の人々は暮らしていけないほどの重要な位置を占めている地点のため
橋の歴史は古く、和銅5年(712年)頃からの架橋の記録がある。当時の橋は丸太を並べて柴を敷いた
簡素なもので簡単に流失し、架け替えのたび場所も変遷したようだ。その中には住民が捕獲した白鷹を
領主酒井忠徳公に献上した礼に架橋してもらったものもあった。今でも当時の場所には湯殿山碑、
鉄竜海はじめ幾つかの行者碑が残っているという。以来何代目の橋になるのかは不明だが、
現在の橋は昭和7年(1932)この道が国道に格上げされた際に建造されたものである。
橋のたもとに地蔵様がまつられているのは、誰かの供養のためなのか不明だが
事故の被害者か、橋からの転落者であろうか。いずれにしても地区の人の暖かい
思いやりが感じられる風情であった。
田麦俣地区風景
田麦橋 昭和7年竣功 橋長28m 幅員6m
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