鶴岡市内新海町を流れる青龍寺川を越える橋は複数あるが、大正〜昭和初期建造の古いものが目立つ。
比較的交通量の多い道の橋でありながらも相当年数使われているわけだが、本来が「永久橋」として登場した
コンクリート橋なので、当初の役目を当然のように遂行中というところであろうか。
両側とも本来の親柱が残る
東側2柱 ひらがな銘標と河川名
東南側の親柱は蔦に覆われている
親柱裏側と高欄上部の現状
高欄上部はほとんど剥落しているが、側面の柵状構造は欠けも無くよく残っている。
西側親柱2柱
漢字銘標と竣功年
竣功は昭和7年となっている。この先の東新町橋が昭和5年竣功になっているので
同時には施工せず、二年、間をおいて順次架け替えが為されたことがわかる。
両側の親柱、高欄の残存状況が良いため、竣功当初のままのようにも思えるが
路面側から見ると昭和初期の橋にしては親柱間の幅員が異常に広いことに気づく。
昭和初期の橋としては広すぎる幅員
明らかに歩道分だけ幅員は拡張されている。隣接する西大海橋は同様の改修の際に
片側の親柱、高欄を廃棄されてしまったがこの橋については珍しいことに拡幅に伴って
本来の親柱と高欄を移築したものとみえる。
橋の下には旧橋脚跡が残っていた
昭和7年以前に使われていた旧橋は木造橋と思われるが、その橋脚跡が撤去後70年を経てもなお
橋の真下に残っていた。真下にあるということは橋の位置は全く変更されていないということで、
同時代の他の橋に見られるように若干上流、あるいは下流に付け替えはしなかったわけである。
現在の架橋作業に見られるように、わざわざ別に仮橋を架けての建設作業になったということであろうか。
西新町橋 昭和7年竣功
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