35.大橋(大石田町)
明治22年に5つの村が合併した大石田村が、更に昭和30年、合併促進法により、横山、亀井田両村と合併して現大石田町が誕生した。
町に流れる最上川は昔から船運でこの地域の発展を助けてきたが、同時に大雨が降れば氾濫する暴れ川でもあった。
最上川中流部における架橋は明治34年の大石田の大橋が最初とされている。
上流部に比べ、川幅も広くなっており、決して楽な工事ではなかったと思われるが、木橋によりこれを実現した。その後、大正2年になって
陸羽西線(当時国鉄)の第1最上川鉄道橋が架橋されたが、それ以外の地区では相変わらず渡し船を使って両岸の間を移動するのみであった。
最上川
橋上の様子
その後、昭和5年になって道路鉄橋の建設が始まり、現在見られるような
頑丈な造りでたびたびの氾濫、激流にも耐えるその名も「大橋」が姿を現した。
北岸側
ワーレントラスの構造 上流側が特に補強された橋脚
あまりにひどい氾濫を繰り返すため、昭和30年代中期から50年代中期にかけて特殊堤防の建設が行われた。
特殊堤防とは通常の堤防の断面ほど大きくはないものの石材、コンクリートにより強度を増した設計の堤防である。
それまで岸に残っていた川舟番所跡の建物は、この工事の時に取り払われてしまった。
南岸側を望む
鋼材の様子 ランプ照明跡もある
北岸側を望む
川岸に再現された船着き場状の壁 鋼材の製造標(昭和五年)
現在は、岸にかつての番所跡を模した壁が設けられ往年の雰囲気を再現している。
橋の親柱にも蔵造り風の屋根が追加されるなど、町の風景の要点として大切にされている。
南岸側
親柱 銘標とも近年の再製作品
大橋 昭和六年竣功 橋長145.8m 幅6m
(2004.3訪問)
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