山辺町長沼公園付近を通る県道に昭和初期の橋が残る。
たびたびの改修を受けながらも70年以上も現役を続けている目立たない橋である。
橋の袂も補修される
須川に注ぐことになる小河川に架かるコンクリート橋である。高欄、親柱などは建設当時のものが使用されているが、
白色ガードレールで嵩上げされており、風情を削がれた中途半端な印象となっている。
無粋に結びつけられたガードレール
旧路線名
素っ気ない形の親柱ではあるが、銘標は良く残っている。
昭和初期までの橋にはよく見られることだが、高欄とは名ばかりで、実際には膝の高さにも満たないこと
も多くあり、道幅は示す役はしていても歩行者の転落防止には全く役立っていない例が珍しくなかった。
この橋も例に漏れず、自転車で通行中の学生が数m下のコンクリートの河床まで転落し、大怪我をしたこと
があったようだ。それを機にガードレールを用いた高欄の嵩上げが施され、今に至っているとのことである。
高欄の高さのほぼ倍に設置されたガードレール
昭和6年に竣功している
この橋の場合、河床までは3〜4m程度であるが、古い橋には10数mの高さがあってもこの程度の高欄で
間に合わせてある場合も少なくなかった。腰より低い高欄は転落防止にはあまり役に立たず、死亡者が出たこと
も少なくないと思われるが、現憲法発布以前は一般人の人命はさほど重視されていなかったことが窺える。
女の人が橋の上から布に巻いた包みを須川に投げるのを近くで遊んでいた子どもが見かけた。あとで拾って
何かと思って開けてみると死んだ赤ん坊が出てきて仰天し、警察に届けたが特に捜査もしなかった。などと
いう話が特に珍しくもなかった時代からこれらの橋はあったのである。世の変化に比べればこの橋の変化など無きに等しいものといえよう。
長沼橋 昭和6年竣功 橋長9m 幅5m
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