39.桜瀬橋(大江町)

 

 

 

 

大江町を大きく蛇行する最上川。そのほとりを川に沿って走る天童大江線。

最上川に注ぐ、とるに足らない支流を跨ぐ昭和初期の古参の橋である。

 

 

大江側から天童方面を望む

 

 

 

   

大江側の親柱

 

 

銘標は欠損

 

 

    

天童 寒河江側の親柱

 

 

    

こちらには橋名の標が残存

 

墓石にも似た親柱の基部に銘標が位置するという特殊な造りになっている。

 

 

電灯取り付け跡か

 

意外なことに昭和初期の橋の中には電飾が施されていたものも多い。

これもその名残であるのだろうか。

 

 

親柱装飾

 

 

 

天童 寒河江側から大江側を望む

 

 

 

  

親柱は片側のみ残存

 

 

    

「桜瀬」は桜の頃の最上川のことか

 

明治時代に入っても船運は未だ続いていた。桜の頃に舟の行き交う最上川を詠んだ小林磊渓の詩

妻山袖浦、急流中 

  偏に喜ぶ、軽舟百里の風  

  寸々たる魚児左沢に生じ  

 桜花瀬を擁して帰帆紅なり

 

橋の名は、この明治の詩に由来する命名と思われる。

 

   

 

  

失われた銘標は竣功年を記していたものか

 

 

 

橋の下に潜ると親柱が片側しか残っていない理由がわかった

 

 

  

RCアーチ橋であった

 

 

  

最上川に注ぐ小支流を跨ぐ

 

 

  

 

アーチは竣功当初のものと思われるが、現在の橋の幅には足りない。明らかに後年

拡幅工事を施されており、その時点で片側の親柱二柱も失われたものと思われる。

 

 

路面をよく見ると後年の付け足し部分がわかる。

 

 

  

この橋が大江町と寒河江市の境となっている

 

 

 

桜瀬橋  RC開腹式アーチ  昭和8年竣功

 

 

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