52.小巖橋〔蛇ヶ橋〕 (南陽市)

 

 

 

南陽市小岩沢地区内にある小橋で明治時代のものである。正式名称は小巌橋で、蛇ヶ橋(じゃがはし)

北川橋等の別名がある。北川橋は河川名そのままであるが、蛇ヶ橋の由来については以下の通りである。

 

ここに架かる橋が木橋の頃、折りからの大水で橋が流れてしまった。渡れずに旅人が困っていると、どこから

ともなく大蛇が現れ、橋になってくれた。旅人は喜んで渡ったが、途中誤って杖で蛇の目を突いてしまった。蛇は

           驚き姿をくらまし、その後付近に現れる蛇はすべて片目のものばかりだという。

 

           

              路上からは橋の存在は意識されにくい               近づくと貴重な橋であることがわかる

 

施工者は近くの吉田橋をはじめ、旧加茂隧道の竜虎の彫刻等を手がけた吉田善之助。

発注は明治時代初期に山形県内の交通網整備を図った初代県令の三島通庸である。

橋名の由来となる伝説といい、施工に関わった人々の顔ぶれといい、もっと広くその存在が

知れてもよさそうなものであるが、県内でもほとんど無名の存在となっている。

 

時代を物語る親柱

 

    

石積みの単アーチ                         高欄の意匠

 

 

高欄というにはあまりにも低いが、丸い穴を空けて装飾を施した跡がある。

他の石橋の高欄が柵を組んであったのに比べれば簡略化されているとも言えるが

こちらの方が丈夫で安く上がることもあり、橋の規模から見れば当然の選択であっただろう。

 

  

橋の袂は物置状態

 

この橋の付近は近所の家の物置きや、地区のゴミ集積所となっていた。

東側面にはわざわざ青い色のパイプが取り付けられている。この橋を文化財として

見ているのであれば、せめて目立たぬ色のパイプを選択することもできた筈である。

 

   

無遠慮な導水管

 

 

比較的よく残っている高欄、親柱もある一方、車の出入りの際に踏まれて

崩壊している高欄、親柱もある。明治の石橋という稀少な文化財としては

考え難いほど雑な扱いである。近隣の方々にとっては日常生活路であり、

親しみのあまりのこの扱いなのだと思うが、保存の意識には欠けている。

 

   

各高欄 親柱の状態

 

 

 

目立たないにしてももう少し厚遇されてもよさそうなものである。

近くにある吉田橋があまりに有名であることの割を食っているものか。

 

 

明治13年竣工  橋長8.2m  幅6.7m

 

 

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