古くは大宝寺城と呼ばれ、のちに同じく最上義光が支配する酒田の東禅寺城が
亀ヶ崎城と改名したのを受けて鶴ヶ岡城と呼ばれるようになった。最上氏から酒井氏に
城主が代わり、その後も250年ほど城下町鶴岡の中心として城の機能を有していたが
会津藩と共に戦った戊辰戦争に敗れ、明治に入って建物は完全に解体されてしまった。
跡地は鶴岡公園となり、明治10年には酒井公を祀る荘内神社が建立され、現在に至る。
荘内神社参道正面
荘内神社参道前を横切る国道345号から神社参道へと一歩足を踏み入れようとすると
その入口両脇に何か盛り上がったような石のかたまりがある。高さ僅か10数センチ。
参道入口両脇の石塊
これを横から見ると、何を意図したものかようやくわかった。
ドブ板1枚の幅ながら参道前の溝を跨ぐ参道橋なのである。
それぞれ親柱と高欄を持つ
10cm角の親柱に挟まれ10cm程の高欄。親柱の上部には装飾まで施されている。
参道とはいえ、ここは車も通ることからこれは親柱と高欄を持つ車道の橋としては
最短、最小のものであろう。それも国道に直に接している稀少な存在である。
橋長に比する橋幅の割合もまれにみる大きさとなる。
これが無かったからといってどうということはないのであろうが、
神社への敬意のあらわれとしてこのような細工がなされたのであろう。
この大きさでは当然のことながら銘標もなく竣功年も不明であるが
今後も永く架け替えられることもなくあり続けることを願いたい。
荘内神社参道橋 竣功不明 橋長約30cm
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