鶴岡市若葉町、鶴岡家政高跡の南側の小川に架かる昭和初期の小橋。
車で通行する分には多分気付かない
親柱に比べ 銘標は大きい
仮名書きでは 志んやしきばし
銘標の傷みは進んでいるものの、年代を考えれば保存は良好と言える程度である。
四枚とも読める状態で残存している。
橋下の流れは緩い
橋長より橋幅の方がずっと長い
周辺は山形大学をはじめ、鶴岡北、南、工業などの高等学校、加えて朝暘第三小学校と
学校の密集地帯である。鶴岡家政高が中央高となって移転していったあともこの橋を多くの
学生、子供達が毎日渡り続けている。この橋が出来た当時には学生達の多くは和服だった
であろう。それから七十数年、戦火、高度成長など激動の時代を経て今も閑かにその姿を水面に映し続けている。
新屋敷橋 昭和八年竣功
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