山形市門伝の山形市立西小学校。その前を南北に走る旧道に昭和最初期のコンクリート橋が残っている。
南側二柱: 一柱の名標は失われている
橋の名は大川橋。平仮名表記の親柱名標には「おほかははし」となっており、時代を感じさせる。
それもその筈、この橋の竣功は昭和3年。誕生から実に80年を経ているのである。
シャープな造形の高欄
住宅地の間を通る
北側二柱: 昭和三年「架換」となっている
川端に樹木が茂る
親柱は簡素なもので飾り気は少ない。高欄の補強として通された鉄パイプは
80年前のものとは思えず後補の可能性を感じさせる。
小学生の通学路であるため転落防止の柵が取り付けられている
橋銘から察するに河川名は大川か
破損が少なくまだまだ耐用年数は残存するものと思われる。山形県、市とも財政面の理由から老朽橋の架け換えには
消極的になっており、できるだけ補強で乗り切ろうとしている。あと20年、竣功後100周年は迎えられるであろう。
大川橋 昭和3年竣功
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