71.新橋(上山市楢下)

 

 

 

新橋路上

 

初代山形県令の三島通庸が積極的に道路整備をした頃に架橋された

石橋のひとつで、今も歴史の家並みが残る上山市の楢下地区にある。

 

    

重量制限(左)        橋の近くにある庄内屋

 

楢下地区内を二分して流れる金山川にかけられている。以前の木橋が洪水のために

何度も流されたため三島の出身地である薩摩の技術を取り入れて石橋の採用となった。

建設費は明治12〜13年の建設当時で約1000円。その全額が県から支出されたわけではなく

7割方は地元の負担となっていたため、当初は有料通行橋ということになっていたようだ。

 

 

「新橋」の名称はそれ以前の木橋に対してのものであろうか。

 

   

石碑のような親柱と高欄の端

 

高欄の石材は全てが当初のものというわけではないようで、画像でも明らかに違いがわかる。

縦の柱の部分は橋本体と同様の質感、年代を感じさせているものの、欄干の部分は材料が新しく、

風化も進んでいない。加えて上の画像にも見えるように柱の中央部分に五角形のくぼみが

見られることから、当初の高欄の組み方が現在とは異なっていたのではないかとも思われる。

 

 

 

橋の上は舗装されており、重量制限はあるものの自動車の通行も自由である。

文化財であるこの橋も、あまりに地域の生活に一体化しているために特別の保護を

施すのは難しいのである。もとより、設計がしっかりしていることもあって当面は問題ないようだ。

 

 

  

橋上の路面

 

 

  

  

橋の両側

 

橋の中央部の厚みは 1mに満たない。これで自動車の重量を長年支えていたのだから

いかに優れた構造であるかがわかろうというものである。しかし、完成当初は川面に橋脚を

設けない造りを見て、崩落を怖れて渡ろうとしない村人も多かったとのことである。

 

石材は大門石(上山市大門地区産出の凝灰岩か)とされている。表面には加工時の鑿の跡も見られる。

 

 

付近には茅葺き屋根もまだ残る

 

 

 

 

 

新橋  明治13年竣功  橋長14.7m  幅員4.4m 

 

 

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