風間橋付近 古写真
風間の路上に並ぶオート三輪。運送会社のものか、先頭車の荷台に経営者らしき人物が乗っている。
これらのオート三輪は、近くの山で採掘されていた砥石運搬をしていたものであろうか。
右端にある橋が風間橋と思われるが不鮮明で詳細については確認できない。
現在の風間橋
橋の形態、規模は写真のものと類似する。昭和7年竣功であるからオート三輪の
時代より古くからここにあったはずで、時代的にも適合はしている。
集落側から見ると両親柱 銘標が見える
両親柱
銘標も時代のわりには健在と言えるもので、アスファルトへの埋没も免れている。
若干集落側が下がっており、道に勾配があったことが幸いしたと思われる。
路面と高欄の傾きが異なる
一方、大通り側の親柱は1本は埋没し、もう1本は歩道設置により取り払われている。
度重なる舗装による埋没と思われ、銘標は全く隠れてしまっている。
掘り起こせば、河川名あるいは橋名(平仮名書き)のどちらかが出てくるだろう。
大通り側の親柱
道路を挟んで新風間橋(昭和41年竣功)がある。この橋はかなり変則的で
道路幅を拡げるために川に蓋をした部分にガードレールの高欄を付けただけのものである。
山形県を代表する観光地となった山寺に向かう車をスムーズに流すための道路改良に加え、
変則交差を補完する意味で誕生したものであろうが、なぜ片側だけのこの状態に橋名まで付けたのだろう。
新風間橋側面
新風間橋 銘標 橋長5m
左:風間橋と 右:新風間橋の位置関係
風間橋 昭和7年竣功
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