65.康寿橋(南陽市)

 

 

南陽市烏帽子山公園地内に明治時代に建造された石造りのアーチ橋が現存している。

 

参道上り口

 

烏帽子山は南陽市の中心部、赤湯地内を見下ろす位置にあり、烏帽子山公園と

烏帽子山八幡宮が隣り合う形で配置されている。共に明治時代に整備されたもので

康寿橋もその時点で設計に加えられたものと思われる。

 

参道石段を跨ぐ

 

 

公園は明治19年頃に整備され、明治33年に拡張工事が施されている。

橋の誕生時期はこの間であると思われるがはっきりした竣功年は不詳である。

 

  

     

 

 

人道橋であるが本格的な造り

 

参道を跨ぐ姿は美しく、明治の姿そのままを残しているように思われるが

経年劣化は随所に見られ補修は必要なようである。

 

 

振り返って見下ろす

 

緑に映える

 

車両交通は想定されていないため、橋の幅は歩道程度しかない。

それでも以前はバイク等の通行はあったといわれている。

 

 

   

橋上の様子

 

この橋は県内各所に石造建造物を残している吉田善之助の弟子、川合兄弟の作とされている。

吉田作の自然石のような仕上げに比べ、きめ細かく仕上げられている。この石段の麓にある

佐藤医院の私邸内の橋が吉田の作と推定されることから、この橋の建造に吉田が立ち会った可能性もある。

 

 

 

   

親柱には橋名が彫ってある

 

 

     

こちらの親柱には若干の欠損が見られる

 

平仮名表記の親柱には大きな損傷が見られないが、漢字表記のものに打撃痕が

見られ、一部欠損しているのが残念である。しかし、竣功当時のものと思われる

円柱状の柱は全て残っており、高欄が鉄柵に換えられた他は明治の姿そのままである。

 

  

公園の穏やかな佇まいの中にある

 

 

竣功時期の画像を見ると周りの木々は未だ幼木で、現在の鬱蒼とした

林に包まれた雰囲気とはだいぶ違った印象である。橋本体の造りに

変更は加えられていないようだが高欄は鎖かひも状のものだった様子が窺える。

 

康寿橋(こうじゅはし)  明治中期〜後期建造

 

 

 

 

 

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