フラワー長井線の羽前成田駅前通りに、名も知れぬ小橋がある。
誰もが当たり前のように通り、一瞥をくれるものもないが大正開業の
駅舎に長年より沿ってきた、地味な功労者である。
大正11年開業の羽前成田駅
寂しいながら駅前通り
どの親柱も銘標を欠いている
橋本体は大きな欠損がないのに銘標は全て欠けている。陶板が填め込まれていた形跡が
あるが通常、陶板は外力の影響がなければ年月による変化はほとんど無い。数十年に亘る
通学、通勤者、或いはその他の中に悪戯で故意に割った者がいるのかも知れない。
従って残念ながら、正式名称と竣功年は不明のままである。
高欄と親柱の傷みは少ない
開業の大正十一年に合わせて竣功した可能性もないわけではないが、橋本体の
形態から、南陽市の揚橋(昭和十二年)と同程度の年代と推定される。多分、初期の
ものは木橋であり、その架け替えとしてこの橋が竣功されたのではなかろうか。
橋横にある古峰神社の分社
高欄の外側にも歩道程度のスペースがある
橋の袂に萩の花
一度死んだ長井線は第三セクターとして復活し、この橋の役を残すことになった。
とりたててこの橋に感謝する者も、特に大切にする者もなく、それでも橋は雨の日も雪の日も人を渡し続ける。
長井線が倒れる日まで、名も知れぬこの橋は駅へ通う人々を渡しつづけるであろう。
橋名 竣功年共に不明
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